大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和57年(あ)666号 判決

本店所在地

高知市帯屋町一丁目一二番三号 株式会社玉井会館

右代表取締役

畠山玉重

本籍

高知県安芸市伊尾木二二二三番地

住居

高知市帯屋町一丁目一二番三号

会社役員

畠山玉重

大正一〇年一〇月三〇日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五七年四月八日高松高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人渡辺脩の上告趣意のうち、違憲をいう点は、収税官吏が犯則嫌疑者に対し質問するにあたって供述拒否権のあることをあらかじめ告知しなかったからといって、その質問手続が憲法三八条に違反するものではなく、また、その質問に基づく犯則嫌疑者の供述が直ちに任意性を失うことになるものではないことは、当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第一〇一号同年七月一四日大法廷判決・刑集二巻八号八四六頁、昭和二三年(れ)第一〇一〇号同二四年二月九日大法廷判決・刑集三巻二号一四六頁、昭和二五年(れ)第一〇八二号同年一一月二一日第三小法廷判決・刑集四巻一一号二三五九頁、昭和二六年(あ)第二四三四号同二八年四月一四日第三小法廷判決・刑集七巻四号八四一頁)の趣旨に徴して明らかであり、記録を調べても、そのほかに所論大蔵事務官の被告人畠山玉重に対する質問てん末書の任意性を疑うべき証跡は存しないから、所論は理由がなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一)

○ 上告趣意書

被告人 株式会社玉井会館

同 畠山玉重

弁護人渡辺脩の上告趣意(昭和五七年七月五日付)

本件上告の趣意は、次の二点に集約される。

Ⅰ 被告人畠山玉重(以下、単に被告人とよび、被告人株式会社玉井会館を被告人会社とよぶ)の大蔵事務官に対する質問てん末書(二四通)は、いずれも任意性を欠くものであって、これを採用した一審判決ならびにその一審判決を支持した原判決には審法三八条(刑事訴訟法一九八条二項、三一九条)の違反があるので、速やかに破棄されるべきものである。

Ⅱ 被告人らに対して有罪の事実を認定した一審判決ならびにこれを支持した原判決には、いずれも、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認・審理不尽の違法があるので、この原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。

その理由は、以下のとおりである。

なお、略語は次の例による。

42・6・12(質)被告人―昭和四二年六月一二日付被告人畠山玉重の大蔵事務官に対する質問てん末書

43・5・6(検)香川俊夫―昭和四三年五月六日付香川俊夫の検察官に対する供述調書

一審 六回 畠山華子―一審第六回公判調書中証人畠山華子の供述記載部分

二審 六回 香川俊夫(二審二〇回被告人)―原審第六回(二〇回)公判調書中証人香川俊夫(被告人)の供述記載部分(「公判調書((供述))郡」と題する5―5―2分冊、引用の丁数は各供述記載部分別のもの)

「売上メモ」―一審裁判所昭和四四年押第一二六号(原審裁判所昭和五一年押第九三号)符号3号

「家計簿」―同右符号 一六号

「手帳」―同右符号 一七の9・12号

「横長手帳」―同右符号 一七の1ないし8、11号

Ⅰ 質問てん末書の不任意性

一 質問てん末書の位置づけ

被告人会社のパチンコ店営業における貸玉料(売上収入)が争点となった本件で、有罪の事実認定の根拠になった直接的な証拠は、結局、証拠物としての「手帳」とこれに関する被告人の説明につきるものといってよい。

原判決が支持した一審判決も、「検察官は貸玉料算出の基礎を押収に係る手帳の記載及びこれに対する被告人の説明に置いている」と判示しつつ、全部、公訴事実のとおり有罪の事実を認定してしまったのである。

1 香川の二審証言

この点について、二審六回香川俊夫は、次のように述べている。

「まず、本件の逋脱の手段といたしまし(六丁)て、その方法が主として貸玉料の除外であるということにつきましては、被告人の供述で明らかになっておることと思いますが……同年(注・昭和四二年)八月三〇日に至りまして、物件であるところの手帳により実際の貸玉料が算定できるという供述を得たわけでございます(七丁)。……この(注・計算)過程につきましては四二年八月三〇日の被告人の質問顛末書に書いてある通りであります。次に、この手帳そのものの記載……それにつきましては、毎日各営業店で作成されるところの売上げに関するメモとフレーブ代金として支払いしたものにかかるメモ、両メモから作成するという供述もございます。この点につきましては四二年一一月一七日付の被告人質問顛末書に詳細に記載してございます。以上のような過程を経まして、貸玉料収入がいくらになるかということを計算したわけでございますが、この具体的な計算過程につきましては、四二年一二月二二日付の被告人質問顛末書の末尾に添付してある売上集計表((一五四二丁―一五八五丁))に記載してあります(九丁)。」

したがって、右のような役割を持っている被告人の質問てん末書が、証拠能力を欠くものとして、本件の証拠から排除されることになると、「手帳」に基づく貸玉料・売上の事実も、根本的に認定できないことになってくるのである。この場合、質問てん末書における被告人の供述部分が除去されるだけではなく、それに添付されている査察官作成のぼう大な各種明細・集計表等が全部排除されてしまうことに注目する必要がある。

それらの各種集計表がなければ「修正貸借対照表」・検察官の冒頭陳述・公訴事実等を構成していくための基礎的な計算・算定がすべて不可能になるのである。その意味でも、被告人の質問てん末書は、検察側証拠の中枢そのものというべきである。

そこで、念のために、この問題に関連する他の証拠を検討しておきたい。

2 香川の検察官調書

「手帳」に基づく貸玉料・売上の計算過程を詳細に述べた証拠として、香川俊夫の検察官調書三通が確かに存在してはいる。

しかし、この供述証拠は、あくまで、国税査察官としての香川俊夫ら大蔵事務官に対する被告人の質問てん末書が証拠能力と信用性を認められることを前提として、はじめて、証拠として何がしかの価値を獲得することができるのである。つまり、それは、本来、一人歩きすることを許されない性質の証拠なのである。それは、もともと、証拠というよりも、査察官としての香川俊夫の主張と意見を述べたものとしての本質をもつからである。

どのような刑事事件であれ、およそ、取調官の主張や意見を録取した検察官調書が有罪の事実認定の直接的な証拠になりうるはずはないのである。万一、そのような事態が発生することになるならば、現行の刑事訴訟制度は、根本的に破壊されてしまうことになる。「事実の認定は証拠による」(刑事訴訟法三一七条)という刑事訴訟の生命線が失われることになるからである。

こうして、被告人の質問てん末書が証拠能力を欠くものとして本件証拠から排除されることになると、香川俊夫の右検察官調書も、また、その存立の基盤を失うに至るのである。

3 被告人のその他の供述

では、質問てん末書以外の被告人の供述はどうなっているのであろうか。

被告人の検察官調書九通のうち、43・5・9(一一五四丁以下)、43・5・9(二回一一六五丁)、43・5・15(一二一六丁以下)等の各(検)被告人の三通は、後述のとおり、いずれも、明白な否認調書としての実質をもっている。また、「手帳」に関する説明が登場する43・5・10(検)被告人(一一八〇丁以下)もごく簡単な話になっていて計算に関する詳細な説明は一切なく、「左側の数字の中にはその日の釣銭が入っています」(一一八四丁)ということであるから、仮に一審以来争点になってきた「事務所直接払」の問題を別にしても、この検察官調書だけでは、とうてい「手帳」に基づく貸玉料・売上の計算など、できるものではない。その他五通の被告人の検察官調書は、いずれも、銀行預金、資産、債権・債務等に関する説明ばかりで、実質的には否認の内容になっていたり、その線に沿っているとみるべきものがほとんどで、とにかく「手帳」の問題にはふれていないのである。

さらに、被告人の公判廷における供述をみると、一審一回公判以来、否認を一貫させていることが明らかであり、一審二一・二二・二四・二五回の各公判廷供述のすべてを通じて、質問てん末書の供述内容に代ったり、これを補強したりするようなものは一切存在していないし、二審二〇回の公判廷供述も、一・二審判決が否定した「事務所の直接払」を強く述べたものになっている。

4 質問てん末書の役割

ところで、これらの証拠のほかにも、一審一二回畠山美恵子が、被告人の妻として、この「手帳」について証言している(八〇六・八〇七丁)。しかし、その供述内容はきわめて簡単なものであり、それも、各店から集まってくる現金で銀行に預金する分に関し、各店の売上げの中からフレーブ代を除いたかどうか「忘れました」(八〇〇・八〇一丁)と述べるなどあいまいな部分があり、その現金の中から翌朝釣銭を各店に渡していたとも述べている(八〇五丁)のであって、これまた、「事務所直接払」の問題を別にしても、この証言だけでは、とても、「手帳」に基づく貸玉料・売上の計算などできるはずがないのである。

こうして、いずれの面からみても、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書が適法に存在しない限り、「手帳」に基づく貸玉料・売上の計算は成立しえないのであり、一・二審判決における有罪の事実認定も根底からくつがえつてしまうのである。

このように、被告人の質問てん末書は、本件における検察側および一・二審の有罪判決にとって、必要不可欠な主柱として位置づけられるのである。

以上の点を十分にふまえながら、被告人の質問てん末書そのものの検討に入っていきたい。

二 支離滅裂な供述内容

一般に、捜査・取調の段階における供述証拠の内容に矛盾やくいちがいがいがあるため、その真実性を認めることができないという場合、これは、まず証拠の信用性の問題として取扱われる。

しかし、そのように真実性のない供述証拠がいったいなぜ生まれてくるに至ったかという問題にも眼をむける必要がある。その結果、捜査・取調の過程と供述の経過を分析・総合し、捜査・取調の無理や強制を明らかにするということになるならば、それは、そのまま真実性のない供述証拠の任意性を否定していくということに直結するのである。

つまり、供述証拠の内容を検討することによって、信用性の問題から任意性の問題に接近し、結びついていくことができるのである。ふつう、捜査・取調段階における供述証拠は、それぞれの時期の捜査・取調官の見込や想定を強く反映するものになるから、その供述証拠の内容の検討は、しばしばそのことを跡づけていく作業にもなるのである。問題は、それぞれの段階における捜査・取調官の見込や想定に確かな根拠があったのかどうかということである。それぞれの段階の想定や見込に確かな根拠がなければ、無理な捜査・取調が進められていたのではないかという重大な疑惑に直結していくのである。

このような観点から、被告人の質問てん末書の内容を検討してみよう。

1 「売上除外」は毎日か、そうではないのか。

まず、「売上除外」が毎日実行されていたのかどうかという問題に注目してみよう。

42・6・15(質)被告人は、問6に対する回答で、「売上除外」の手順について、次のように説明している。その文脈と趣旨からみて、これは、明らかに、「毎日」説である。被告人の他の質問てん末書も、この線に沿うものが多いとみてよいであろう。

「……妻が現金を点検した後私が売上の除外額をいくらにするかを決定してこの分の現金を別にし、残りの内支払に要するものを差引きし、その残りを当座預金に預けることといたします(一二九七丁)。その除外金は四時に持参されたものを架空名義の普通預金にすることが多いわけです。……このままでは、各店別の除外額の配分の問題もあり、又売上のみでなく差額率を確保するため景品交換のための現金支出額を圧縮する必要があり、この内訳作成については、毎日私が女子事務員に具体的に各店毎の売上と景品交換のための現金支出額の公表帳簿計上額を指示いたします(一二九八丁)。」

ところが、これに対して、42・6・12(質)被告人は、次のようにはっきり述べていたのである。

「各店の売上を事務所に持ってくるのは毎日午後四時ごろと閉店後と二回に分けて持ってくる訳ですが売上の多い日を見計らって現金を十数万円程度を売上から除外し、この除外した金額をもって女子事務員の北村に伝票を作成するように指示しています(一二七七丁)。」

このような話は、けっしてこの質問てん末書に登場するだけではない。

42・11・17(質)被告人によると、「売上除外」の問題に関し、「私が公表帳簿に記載する売上とフレーブ払の金額を定め」る(一三九八丁)という説明があり、「この様に売上フレーブ払いの金額を書き直すのは毎日ではなかった様に思いますが、月のうち、何日間について書きなおさなかった日があるかはよく覚えておりません(一三九九丁)」という話が登場しているのである。

被告人が「売上除外」を毎日実行していたのか、あるいは毎日のことではなかったのかは、実際問題として非常に大きなちがいを意味する。この問題は、被告人会社の日常業務の流れがいったい毎日どのような形でしめくくられていたのかということに直結するものとして、それ自体が大きな問題であるから、本来、供述が真実である限り、このようなくいちがいが生じてくるはずがないのである。また、この問題は、不可避的に、「売上除外」の金額の総計にも大きな差異を生み出すはずである(「売上除外」の一回分の金額には自ずから限界があるはずであり、毎日の累積とそうでない場合とでは大きなちがいになるとみてよい)。

いずれにせよ、「売上除外」の実行が毎日のことであったかどうかは、「売上除外」の問題に関する基礎的な事実関係の一つであり、事実関係の問題である以上絶対的に両立しない性質のものである。 こうして、「売上除外」が毎日実行されていたという筋書と「売上の多い日を見計らって」実行していたという筋書は、明白に、被告人の質問てん末書における矛盾を構成するに至っているのである。

2 「売上除外」の金額はその都度決められていたのか、一律的に決まっていたのか。

「売上除外」が毎日のことであったかどうかという問題に関連して、その金額はいったいどのように決定されていたのかという問題もある。

右の42・6・15(質)被告人と42・6・12、42・11・17各(質)被告人は、「売上除外」が毎日実行されていたかどうかという点では大きく矛盾しているが、いずれも、その都度、被告人が「売上除外」の金額を決定していたという点では共通しているものといえる。

しかし、この点についても、まったく異なった筋書きが登場してくるのである。42・7・5(質)被告人は、問題になっている「売上除外」について、「横長手帳」に基づいて説明し、結局、「景品交換については実際のものを、売上については実際のものからパチンコ一台につき百円の割合で除いた残りの金額を記入しております(一三〇四丁、同旨一三〇七丁)」というのである。

このようにパチンコ機械一台につき百円を控除するという「売上除外」の方法は、42・12・7(質)被告人(一四二一、一四二二丁)および42・12・14(質)被告人(一五一六丁)の質問と回答にも出てくる。

これらの供述は、「売上除外」が毎日実行されていたという点では、前記42・6・15(質)被告人の供述による筋書と一致するかもしれないが、「売上除外」の金額の決め方の点では決定的にくいちがっていることになる。

とにかく、「売上除外」の金額について、これをその都度被告人が決めていくという方法と、パチンコ機械一台につき百円を控除するという機械的一律的な方法との間には、乗り超えることのできない深刻な亀裂があり、相容れることのできない矛盾・対立の関係が成立しているものといわなければならない。このパチンコ機械一台につき百円を一律に控除するという筋書は、その後、何の説明もないままに雲散霧消しているものとみられるが、「出納帳」という資料に基づくもっともらしい説明であるだけに、その消え方自体にも問題があるということになろう。

幾多の実例と誤判例がはっきり物語っているように、いかにももっともらしい話が途中で雲散霧消してしまうということこそ、その供述の虚偽・架空性の最も端的な現われであり、そのような問題をふくむ供述は、当然、その全体についての真実性が強く疑われることになるのである。

ともあれ、ここでは、「売上除外」の事実に関する体験者としての被告人の供述が真実である限り、絶対に登場するはずのない大きな矛盾が「売上除外」の方法をめぐって存在していることを明確ち指摘しておきたいのである。「売上除外」の方法が確定しなければ、それを実行することは不可能なのである。その意味で、この問題も、また、本件における事実認定のうえでは、重要な影響力をもちうるものというべきである。

3 公表金額は被告人が決めていたのか、女子従業員が決めていたのか。

このような「売上除外」の方法をめぐる問題と表裏一体の関係にあるのが公表金額決定の問題である。

前記のとおり、42・6・15(質)被告人と42・6・12、42・11・7各(質)被告人との間では、公表金額を被告人が決定していたという点でも共通している。

しかし、42・12・7(質)被告人の次のような供述によると、けっして、そうではないのである。

「……畠山華子にはかねてから除外することを指示してありましたので当座預金の入金額とにらみ合わせて毎日の公表帳簿に記載すべき金額を畠山華子が決めて帳簿に記載していました。初めのうちは売上を除外していましたが四〇年三月頃以後は……仕入れも併せて除外していました。この除外作業の結果つまり公表帳簿の記載額については時おり報告を受けていました(一四二〇丁)。」これによれば、公表金額を決定していたのは、被告人会社代表者・代表取締役の被告人ではなく、何と女子従業員である畠山華子であったというのである。つまり、「売上除外」の実質的な決定権者と実行者は、社長である被告人ではなく、女子従業員の畠山華子であったということになるのである。

この話は、何かの感ちがいであって、「売上除外」の金額も、公表金額も、実質的に決定し実行していたのは、あくまで社長としての被告人であったと断定することは、一見、容易のようにみえるかもしれない。

しかし、一審六回畠山華子(六六三丁以下)の証言によると、右の42・12・7(質)被告人の筋書を裏づけているのではないかとも見受けられるのであって、話はそう簡単にはおさまらないのである。

もちろん、「売上除外」の金額とを実質的にはいったい誰が決めていたのかについて、社長である被告人であったというのと、女子従業員であったというのとでは、これまた大きなくいちがいであり、この二つの筋書は両立しないという意味でさらに新たな矛盾を生ち出すに至っているのである。

この矛盾も、被告人の供述が真実である限り、本来的にとうてい考えることのできない性質のものである。問題は、むしろ、なぜこれらの多様な矛盾が生まれてくることになったのかという点にしぼられるものといってよいが、その問題を検討するためにも、もっと他の矛盾がないのかという点にしぼられるものといってよいが、その問題を検討するためにも、もっと他の矛盾がないのかどうかを確かめておく必要がある。

4 「売上除外」は伝票の段階か記帳の段階か。

そこで、被告人社社の「売上除外」がいったいどの段階で実行されていたかということになるのかという問題に注意をむけてみよう。

この点については、「……除外した金額をもって女子事務員の北村に伝票を作成するように指示しています」(42・6・12(質)被告人一二七七丁)とか、「私は売上仕入ともに除外して女子事務員に伝票を作らせていることであるし」(42・9・7(質)被告人一三二九丁)という供述がある。

これらの供述による限り、「売上除外」は、伝票作成の段階ですでに実行されているのであるから、記帳もそれらの伝票を集計するだけで済むということになるはずである。

ところが、前述のとおり、「毎日私が女子事務員に具体的に各店毎の売上と景品交換のための現金支出額の公表帳簿計上額を指示いたします」(42・6・15(質)被告人一二九八丁)とか、「次に私が公表帳簿に記載する売上げとフレーブ払の金額を定め」る(42・11・17(質)被告人一三九八丁)という供述もある。

もし、「売上除外」が伝票作成の段階で実行されていたのであれば、このような記帳段階の操作手順は本来的に不要であったものといわなければならない。

つまり、この二つの筋書きのいずれを選択するのかによって、伝票の性格・内容と「売上除外」の実質的な手順とがすっかりちがったものになってしまうのであって、このくいちがいは明らかな矛盾を構成している。

これらの話に、畠山華子に「毎日の公表帳簿を記載すべき金額を」決めさせていたという前記の筋書(42・12・7(質)被告人一四二〇丁)が加わるのであるから、混乱はいっそうひどいものになってくる。

こうして、いったいどの段階で「売上除外」が実行されたのかはまったく不明確であり、この混乱状態を何とか収捨しようと考えること自体がもはや無理というものであろう。

5 どのようなメモが作成されていたのか、被告人作成のメモはあったのか。

ところで、42・8・30(質)(一三二一以下)、42・11・17(質)(一三九五丁以下)、42・12・22(質)(一五二二丁以下)各被告人の供述によると、毎日閉店後、各支店長が作成したメモ(一審判決認定の甲メモ)と各支店の売店担当係が記入したメモ(一審判決認定の乙メモ)が被告人会社の事務所に提出され、これに基づいて、被告人の「手帳」が作成されていったということになる。

さらに、この甲・乙両メモについては、次のような供述がある。

「……私が公表帳簿に記載する売上げとフレーブ払の金額を定め……そして公表帳簿に記載する売上とフレーブ払いの金額を前述のメモの下の方に記入し、翌朝事務所の畠山華子又は北村浩子に渡し、公表帳簿に記入した後それぞれの手でメモを処分しておりました」(42・11・17(質)一三九八丁)

ところが、次のような供述も、突然登場してくるのである。

「北村浩子はこのような事務ははじめてであり、各店で作成したメモを直接渡さず店長作成のメモのメーターによる正当売上げを更に別のメモに移記しこのメモと別に公表帳簿に記載する売上仕入を私がその金額を決めこれもメモ書し、この両メモを北村浩子に渡していました。北村浩子はこの後者のメモに従い公表帳簿に記入していました。」(42・12・7(質)被告人一四二〇、一四二一丁)

これは、「毎日各店から提出される売上メモを受取った後これをどうしているのか」という質問(一四一九丁)に対する回答の一部であり、被告人の質問てん末書における「売上メモ」とは甲・乙両メモを指している(42・8・30(質)被告人一三二四丁)。

この筋書による限り、被告人は毎日閉店後、甲・乙両メモに基づき、それらとは別に二枚のメモを作成していたということになる。

しかも、右の回答によると、「正当売上」を移記したという被告人作成のメモは、「横長手帳」に「記入するため渡している(注・北村浩子に対し)もの」であって、「このメモの金額から機械一台当り百円を控除したものをもって手帳(注・「横長手帳」)に移記させていました。」(一四二一丁)ということになるのである。

この「横長手帳」は、「各店の営業成績を上げさせるために作った資料」であり、「営業成績があまり良くないということにするため売上の一部を除外して書いて」あるもの(42・7・5(質)一三〇四丁)であって、後述の「手帳」の趣旨・目的とはまったく別のものである。

このような「手帳」と「横長手帳」の区別の問題はともかくとして、被告人がことさらに二枚のメモを作成し、これに基づいて北村浩子が公表帳簿に記入していたという筋書がもし真実であれば、閉店後から翌朝にかけての毎日の集計・整理・伝票作成・記帳等の作業行程にかなりちがった様相が生まれてくることにならざるをえないのであって、他の質問てん末書の供述内容と全然合致しないことになるのである。

これらの点をみてくると、ここでは、被告人作成の二枚のメモが結局どこへ行ってしまったのかという問題よりもむしろ、このような突然変異ともいうべき供述がいったいどうして登場することになったのかということ自体の方が、よほど重要な問題になってくるものというべきである。

6 支離滅裂の原因はどこにあったのか。

以上の点を総合すると、被告人の質問てん末書における「売上除外」は、(1)いつ、(2)どのように、(3)誰が、(4)どの段階でこれを決定・実行していたのかという肝腎かなめのポイントで、ことごとく矛盾・対立しているものといわなければならない。いうまでもなく、右の(1)ないし(4)の点のいずれか一つが欠けても、「売上除外」の決定と実行に不可能になるのである。

このように、「売上除外」にとって不可欠の構成の要素のすべてにわたって供述内容の矛盾が多岐に錯綜しているということは、これらの矛盾がけっして部分的な断片ではなく、本質的に構造的な矛盾であり、供述そのものの根本的な歪みをはっきり示しているということにほかならない。単なる思いちがいや記憶ちがいの問題であるなどとはとうていいえない状況である。

供述の内容にこのような矛盾・対立が存在する以上、矛盾・対立する供述の一方の側が虚偽であるか、そうでなければ双方ともに全部虚偽であるという結論に帰着するわけで、これ以外の結論は絶対にありえないのである。

つまり、被告人の質問てん末書の供述内容は、「売上除外」の決定・実行に関する不可欠の要素のすべてについて、明らかに虚偽がふくまれているということに帰着するのである。そのうえで、前記のとおり、突然変異的な供述までとびだすのである。ところが、一審判決は、「手帳」の問題に関する被告人の「質問てん末書の供述は極めて自然」であると評価してその信用性を認め、原判決も、「全面的にこれに同調しうるところである」というのである。被告人の質問てん末書の供述内容について、いったいどこを読んでいたのであろうかといいたくなるのである。まともに記録を検討したものといえるのであろうか。すでにくり返えし指摘してきたように、ここでは、被告人の質問てん末書の供述内容の信用性を論じるというよりも、その重要な部分になぜ数多くの虚偽がふくまれるに至ったのかという問題をこそ最大の焦点としたいのである。

何しろ、一審判決が認定しているように、被告人の質問てん末書は「不拘束のままの取調」によって作成されたのであるから、よほどの事情がない限り、被告人が自らの体験に基づく事実について、虚偽を述べるはずはなかったし、その必要もなかったのである。

ただし、このことは、取調官(本件では国税査察官としての大蔵事務官、以下同)が被告人のありのままの供述をありのままに聴くという姿勢と態度を一貫させたときにはじめて成立しうるものといわなければならない。もし、取調官がそのような姿勢と態度をとることがなく、取調官の想定や見込を押しつけたり、それによって誘導することになるならば、供述内容はどのようにでも歪められていくのである。

被告人は、一審判決にも記載されているように、その二一回公判廷で、質問てん末書の取調状況について、「わからんままに答えた方が多かった(一二四七丁)」、「つい十分わからんままにそうですと云わされた様なことでした」(一二四九丁)「わからんままそうですと返事したことが大部分です(一二五三丁)と述べて、取調官の押しつけと誘導を指摘している。

これを根拠のない単なる弁解にすぎないものと認定するためには。被告人の質問てん末書の供述内容が真実であることを明らかにする必要がある。その肝要な点に供述の虚偽性を示すような構造的矛盾や混乱が存在していないことをいかなる疑問の余地をも残すことなく明確に論証する必要があるといわなければならない。

そのような論証がもはや不可能であることは、すでに明白である。

こうして、被告人の質問てん末書における支離滅裂な供述は、取調官が事実に反する内容を被告人に無理に押しつけたり、誤まって誘導したりしたためにこそ、生まれてきたものではないかという重大な疑問が、改めて提起されてくるのである。

そこで、さらに、取調の根拠・進め方・結果などをめぐる問題についても検討を進め、取調状況の実態的な全体像を明らかにしつつ、この疑問が解消されていくのか、それとも大きく増殖されていくのかを冷静に見きわめる必要がある。

前記のような供述内容の検討を出発点としつつ、右の観点から被告人の質問てん末書に関する取調状況の全体像を実態的に明らかにしようとする努力は、すくなくとも、これまでにはなかったといってよい。従前の一・二審の審理の中でこれらの点がいささかも解明されていないということは、刑事訴訟の正しいあり方からみて、大きな怠慢というべきものではないであろうか。

三 無理な取調の進め方

1 「手帳」の目的

本件における取調の進め方をふり返えってみると、どうしても、「貸玉料の算出の基礎」(一審判決)の一つとされてきた「手帳」の位置づけと役割が問題となってくる。

この「手帳」の目的について、被告人は、次のように述べている。

(1) 「パチンコ台の釘の調査および営業上の参考にするため……」(42・8・30(質)一三二一丁)

(2) 「店の営業成績をみたり、釘を調整して翌日の機械の状況を決める参考に用いる」(42・12・22(質)一五二七丁)

(3) 「釘の調節をするときになんぼ出たか(注・フレーブ)を知るためにです(「営業成績をみるためにですか」との質問に対して)。釘の調節をするときになんぼ出たか、ランキングをみるためにです」(一審二四回一六四九丁)

(4) 「くぎの調節に使う、大体フレーブの数がわかりましたら何年かやるよると、勘というか、そういうことで、フレーブの数で全部わかりました。……現金は、今残金がなんぼあるかいうだけしか、ほかの目的も何もないんです。(「要は、現金とフレーブの数の多い少ない、これによって、くぎを開けるか閉めるかが決まってくるわけですね」との質問に対して)そうです。(「フレーブの出方が多いときには、くぎをどうするんですか」との質問に対して)ちよっと閉めるとか。(「景品の出方が少ないときはどうするんでしょうか」との質問に対して)開けます。(この手帳の記載によって、会社の運営、いわゆる利益があるか、損害をこうむるか、それ具体的にわかるんですか」との質問に対して)それ、わかりません。」(原審二〇回二五、二六丁)

こうしてパチンコ機械の「釘の調節のために」という「手帳」の目的に関する限り、被告人の供述は、質問てん末書以降、終始一貫しているのである。したがって、(1)ないし(3)の各供述部分も、すべて(4)の意味と趣旨をふくむものと理解してよいはずである。周知のとおり、パチンコ店の毎日にとって、釘の調節は、貸玉料・売上と景品の出方とを調整するうえで、不可欠な営業上の操作である。この操作を誤まると、バランスが崩れ、玉が出すぎてパチンコ店が損をするか、玉の出方がよくないために客を失うかのいずれかに帰してしまうのである。適正な判断によって、この操作を誤まりなく実行することは、けっして誰にでもできることではない。それは、すぐれた専門的技術が要求されるのである。被告人は、そのバランスの操作をその日のフレーブの出方によって判断するというのである。経験による「勘」で、「全部わかりました」というのである。

この「手帳」について、「昭和二四年よりパチンコ営業を続けている被告人の多年の経験に基くものと考えられ」るという、一審判決の評価は、まさに、右の点にこそむけられるべきものであった。

ところで、「手帳」の現金現在高の記入について、被告人は、残金を確認することだけが目的であったという。

これまた周知のとおり、パチンコ店経営者にとって、毎日の営業活動上、最も注意すべき問題の一つは、従業員による現金取扱の不正(盗みや使い込み)を防止することである。これに失敗したためにつぶれてしまったパチンコ店が現実にはいくらでも存在している。店の数が多ければ多いほど、このことが重要な問題になってくるのである。その意味で、被告人が、各店における毎日の貸玉料・売上げ現金の残高を事務所に集めて、店ごとの金額を確認するということも、それ自体、十分に意味のあることであったし、その趣旨であれば現金の現在高の中に「つり銭」が入っていても、全然問題にならないのである。そのほかに、現金残高と換金されたフレーブ数をにらみ合わせることも、釘の調節には役立っていたということになるのである。つまり、この「手帳」は、明らかに、被告人会社の毎日の収支を記録するための経理上の資料ではなかったのである。

もし、被告人が毎日の貸玉料・売上の金額や景品の形で支払われた支出金額および利益としての差額等を記録しておきたいと考えたのであれば、甲メモから、直接それらの金額を書き写しておくことで済んだはずである。格別の「考案」(一審判決)など、すこしも心要がなかったのである。

また、被告人会社の経理を記録するための資料であれば、フレーブの仕入も明確にされていなければならないはずであるが、「手帳」のフレーブ数は換金分であって、仕入高ではないのである。

しかし、被告人には、そのような毎日の収支を記録しておくつもりがなかったし、現に記録もしなかったということになる。要するに、この「手帳」は、「裏帳簿」としての性格や内容をもちうるものではなく、これを「裏帳簿」としてみるには、記帳そのものの正確性について、信用度があまりにも低すぎるのである。

被告人は、この「手帳」が信用できないという理由を次のように述べている。

「私はその年(注・昭和三九年)の一二月頃から三月頃まで近森病院へ入院したことがありますが、その間その手帳を書かずに居て退院してからたまっていた店長提出の前述の売上げ及びフレーブ仕入のメモに基づき一遍に書いたことがあるので、その間に誤りが出来た様な気がします……」(43・5・15(検)一二二一丁)被告人は、この入院で、左肺を三分の一切除する手術を受け、そのために約三か月の療養生活を送るに至ったのである(二審二〇回被告人七丁)。

ところが、この入院期間中の記帳について、その筆蹟を点検してみると、一二月九日以降三一日までは、被告人の妻の字であり、一月も九・一〇・一七・二二日がそれぞれ被告人の字であることを除くと、他の日は全部被告人の妻の字であるということになり、二月も同様で、被告人の字は八・一八・二一・二二・二四・二五・二六・二七日だけであるという(二審二〇回被告人五丁)。

こうして、右の入院期間中、この「手帳」に誰がどのように記入したかということさえ不明確であり、その正確性などとうてい保証することのできない実情であった。

退院してからまとめて書いたにせよ、被告人の妻が書いたにせよ、いずれにしても、この入院期間中の記帳は、「釘の調整」の)役には立たなかったことになる。しかし、被告人にとっては、各店におけるパチンコ機械のおよその活動状況や調子をつかみ、全体的な営業状態の概略を把握するうえでは役立ったはずである。

そのためには、厳密に正確な数字でなくても十分間に合ったはずである。

しかし、被告人会社の収支に関する経理区の日計表ということになると、とても、このような粗雑な処理では話にならないのである。

これらの点に加えて、事務所に集められる毎日の現金残高に各店の「つり銭」の分がふくまれていたことをも考慮するならば(「つり銭」を推計によって控除することはできるとしても、貸玉料・売上算定のために、そのような計算上の操作をしなければならないこと自体、経理上の資料として失格であることを意味している。)、一・二審の争点となった事務所直接払の問題がなかったとしても、この「手帳」に正確な経理帳簿の役割を担当させることは根本的に無理であり、これに基づいて貸玉料売上の総額を算出することも本来的にできない話であるといわなければならない。

このように、「手帳」の目的が釘の調節と現金残高の確認にあったということになる以上、「弁護人主張のように事務所よりの直接払いが右手帳に反映されていなければ、右目的のためにはその用をなさない」(一審判決)などということには絶対ならないのである。この「手帳」の目的が「釘の調節と現金残高の確認」にある以上、本来、「事務所払」の金額を記載しておく必要などまったくないのである。つまり、「手帳」は「事務所払」の問題と本来的にまったく関係がないのである。

原判決が支持した一審判決の右の認定は、明らかに、予断と偏見そのものであり、それ以外には何の根拠もないというべきである。その認定は、根拠のないまま、この「手帳」に経理帳簿としての無理な役目を割当てたものであったというべきである。それは、まさに、査察官や検察官が、「手帳」にそのような役割をあたえたことを一審判決が全部無批判に認めてしまったということにほかならない。

こうして、本質的に経理帳簿になりえない「手帳」に、経理帳簿としての役割をあたえ続けるという無理が、本件の取調の根底に横たわっていたし、そのことが被告人の質問てん末書作成の取調につらぬかれていたものといわなければならない。なお、この問題については、後記Ⅱ・二、「貸玉料総額の認定不能」の点をも総合的に検討してみる必要がある。

2 「家計簿」の特徴

ところで、被告人は、「手帳」を信用できない理由の一つとして、次の点を指摘している。

「(注・「手帳」による貸玉料・売上高の総額に関して)五、〇〇〇数百万円も簿外の売上金があったとすれば、その金が一体どういうふうに資産化されたのかを明らかにして貰いたいと思います。私としてはそれが不思議でならんのです」(43・5・15(検)一二二一、一二二二丁)

これは、確かに問題の核心を突いた鋭い指摘である。

そこで、被告人会社の資産の明細と評価額が問題になってくる。そのことを明らかにするための最初の作業は、いうまでもなく、被告人会社の資産と被告人個人の資産との識別である。これは、最も基礎的な作業であって、このことが適切に進められ、会社資産と個人資産とが明確に区別されない限り、会社資産の評価額は絶対的に算出されないのである。

そして、被告人会社の資産に関する資料として登場するのが、何と「家計簿」なのである。「家計簿」とは、本来、個人の収支に関する日計の帳簿であるはずなのに、本件の「家計簿」は、そうでなかったのである。

そのことについて、一審一二回畠山美恵子は、次のように証言している(質問者は、とくに断らない限り検察官である)。

「三九年、四〇年当時は(注・パチンコ店を)、手伝っていましたか

はい

店の支払の仕事もやっていたのではないですか

やっていました

(中略)

その支払のことですが普通の会社だと会社の支払と経営者の家計の支払とは分かれているのだから、三九年、四〇年当時はあなたのパチンコ店と家の家計の支出は分かれていましたか

私が家計簿をつけていますから一緒につけていると思いますけれど

それは毎日あったわけですね

はい

一緒につけているというのは何か帳簿につけているのですか

家計簿に一緒に控えていました

(裁判官)

その家計簿は会社の事務所に置いているのか、家に置いているのか

家です

そうすると家に置いてある家計簿に会社の支払なども記入していたというと、会社の方の帳簿には記入してない場合があるわけだね

私の覚えている分をつけていました

その覚えている分は家計簿だけにつけて会社の方にはつけてないだろう

私は会社の帳簿は全然やっていませんでしたので」

(七九五、七九六丁)

このような被告人会社の資産・支払と被告人個人の資産・支払の混同について、被告人自身は、一審二一回で次のように述べている(質問者は主任弁護人である)。

「会社の金と個人の金をごっちゃにしたらいかんことはわかっているかね

はい

ところが自分の金で景品代を払ったり売り上げ金から私用の費用を出したりごっちゃに扱ったことがあるのではないかね

そういうことがありました

本来はいかんことではあるが、実際問題としてそうがっちりやったのでは運営上困難な場合があるのですか

はいそういうことがあります、会社に金が無くなったり急に特別に必要だったりする時がありますので」

(一二四九・一二五〇丁)

以上のような畠山美恵子と被告人の供述を否定するような証拠は、まったく存在していない。

これらの点に関して、被告人の質問てん末書を点検してみると、42・7・7(一六一三丁以下)、42・8・5(一六二〇丁以下)、42・11・17(一三五〇丁以下)各(質)被告人の供述においても、もっぱら「家計簿」に基づいて、被告人会社の資産・債務等について説明したことになっている。

このような状態では、被告人会社の資産と被告人個人の資産とを区別することなど、本質的に不可能であり、そうである以上、査察官や検察官による「修正貸借対照表」等の作成も、根本的に不可能だったはずである。

この問題の重要な一環として、たとえば銀行預金の問題がある。

42・12・14(質)被告人(一四七一丁以下)によると、高知相互銀行・高松相互銀行等における定期預金・通知預金・定期積金・相互掛金等およびそれらに対する利息の明細の全容が添付資料の各表(同年同月一一日付河上忠明作成・一四八七以下一五〇六丁)によって明らかにされているが、そのうち、被告人会社名義の口座は高松相互銀行高知支店における相互掛金のごく一部分にすぎない(一四九九ないし一五〇三丁、一五〇六丁)のであって、その他はすべて被告人個人名義の口座か「仮名口座」になっている(一四九〇丁の株式会社宗石建設工業所名義の分を除く)。

国税局・査察官は、これらの銀行預金について、被告人個人のものと被告人会社のものとを一切識別することなく、そのすべてを被告人会社のものとみなしてしまったのである。そうでなければ、「修正貸借対照表」における銀行預金の科目の金額は算出できないし、また、被告人個人の銀行預金の存在を認めたものとみられる資料も全然ないのである。

さらに42・12・22(質)被告人(一五二一丁以下)の供述に添付されている「個人収入一覧表」(同日香川俊夫作成・一五六八丁)をみると、被告人個人の収入は、「給料・配当金・賃貸料・賞与・個人に対する貸付利息」に限られていて、その中には、銀行預金に対する利息収入の項目が完全に欠落している。これは、明らかに被告人個人の銀行預金をゼロとみなし、そのすべてを被告人会社の銀行預金とみなしてしまったことの現われにほかならない。

しかし、「昭和二四年よりパチンコ営業を続けている被告人の多年の経験」(一審判決)からみて、被告人個人の銀行預金が昭和三九年度現在でゼロであるなどということがおよそありうるだろうか。

こうして、被告人会社の資産を適正に算定するべき的確な資料もなく、会社資産と個人資産との識別もできないまま、「修正貸借対照表」等の作成を強行したところにも、本件における取調の本質的な無理がはっきり現われている。

被告人の質問てん末書作成の取調過程には、この面でも大きな無理がつらぬかれていたものといわなければならない。

なお、この問題についても、後記Ⅱ・三、「会社資産の識別不能」の点を総合的に検討する必要がある。

3 「集計表」の分量

右のとおり、「手帳」と「家計簿」をめぐる問題が本件取調の根拠・内容上の無理をはっきり示しているのに対し、その取調の物理的な無理を疑問の余地なく示しているのが被告人の質問てん末書そのものである。

その典型的な例が昭和四二年一二月一四日の高松国税局査察課別室における取調と同日付の質問てん末書三通である。この日の取調では、午前一通と午後二通の質問てん末書が作成されている。

その午前中の取調は、香川俊夫によるもので、午前九時から正午までの三時間にわたって行われたということになっている(42・12・14(質)被告人一四二六丁)。

この三時間の取調の中で、被告人は、二七丁(一四二六丁以下一四五三丁)にのぼる質問てん末書を録取され、昭和四二年一二月一四日付河上忠明作成の「不動産取得税納付状況表」一葉、昭和四二年一二月一二日付香川俊夫作成の「パチンコ機等の買入状況一覧表」一六葉(一四五四丁以下一四七〇丁)の添付資料を提示されて全部これを認めたということになっている。

この時間内にそれだけの取調を全部実行するのは不能である。

このような状況は、質問事項に対する被告人の供述以前から、すでに質問てん末書本文の内容が査察官の見込と想定のみによって用意されていたのではないかと疑うに足りる十分な根拠をあたえている。

すくなくとも、被告人がこの時間内にこれだけの分量の添付資料を検討し、理解することだけは絶対的に不可能であったといってよい。

このような状況は、午後の前半の取調でも、基本的には同様であった。この取調は、河上忠明によるもので、午後一時から午後三時三〇分までの二時間半にわたって行われたということになっている(42・12・14(質)被告人一四七一丁)。

この二時間半の取調の中で、被告人は一六丁(一四七一丁以下一四八六丁)にのぼる質問てん末書を録取され、昭和四二年一二月一一日付河上忠明作成の「定期積立相互掛金明細表」第二五葉(一四八七丁以下一五一一丁)の添付資料を全部認めたことになっている。

この添付資料二五葉は、各葉ともに、内容が詳細なものであるうえに、総量が午前中よりも大きいのであって、これを被告人が検討したり、理解したりすることなど、とてもできるものではなかったというべきである。

その後、この日の午後三時三〇分から午後七時まで、香川俊夫が取調を続行して、42・12・14(質)被告人(一五一二丁以下一五一九丁)を作成している。

こうして、この日の取調が被告人に対する強度の疲労を強要したことには一点の疑いもない。

また、42・12・22(質)被告人(一五二一丁以下一五四〇丁)によれば、この日の取調は、午前九時三〇分から午後六時までの間、香川俊夫が担当し、次のような添付資料三七葉(一五四一丁以下一五七七丁)を被告人に承認させたということになっている。

〈1〉 簿外給料(時間外手当)の計算

〈2〉 売上集計表(1)

〈3〉 売上集計表(2)

〈4〉 個人集計表

〈5〉 個人収入一覧表

〈6〉 個人費用等支出状況一覧表

〈7〉 出資金等(個人)異動状況表

〈8〉 不動産等(個人)取得状況表

〈9〉 貸付金(個人)異動状況表

誰がみても、これだけの分量と内容をもつ各種集計表を十分に検討するためには、とても一日では足りないものというべきであり、この場合も、被告人がその内容を理解しえたものとは、とうていいえないのである。

こうして、これらの点を総合してみると、本件の取調の進め方には被告人の理解をこえる無理な押しつけが物理的に存在していたことだけは、あまりにも明らかであって、これをくつがえすような証拠はどこにもないのである。

このような取調の進め方について、被告人は、一審二二回で、「申告の額なども明確でなかったのですが判を押せば説明してやるとか云われました」(一二七二丁)と述べ、「反対だね、普通は説明して貰って納得できたら判を押すということだろう」と弁護人に聞かれて、「そうですが、私の場合は実際に先に判を押せと言われました」(一二七二丁)と答えている。

被告人は、これらの供述に引続いて、さらに次のようにも述べている。

「調べられた範囲にしても沢山の諸明細に亘って僅か二、三時間の間に調べられたことになって、被告人がそれに間違いないという様に答えているがそんなに簡単に調べられるかね

私はもうどうでもよい、もう早く済ませてくれ、適当に書いてくれ、判を押しますということでした。」

(一二七二丁)

前述の被告人の質問てん末書・添付資料それ自体に基づく昭和四二年一二月一四日の取調経過の実態解明は、まさに、右の被告人の公判廷供述が真実そのものにほかならないことを、いかなる疑問の余地もなく、根拠づけているのである。

4 取調経過の問題点

いうまでもなく、本件公訴事実が成立するためには、何といっても、まず、(1)貸玉料・売上の総額を明確にし、次いで(2)被告人会社の資産状態を確定させることによって、最終的には(3)検察官主張の当期利益の算定と法人税逋脱額を合理的な疑問を容れる余地のないまでにはっきり立証しなければならない。

したがって、すでにふれたように、右の(1)・(2)の点に関する基礎資料とそれについての被告人の説明こそ、本件取調の中心課題であった。

そこで、これまでに検討してきたところをふり返えってみよう。公訴事実全体の基礎となるべき(1)の点の基礎資料とされてきたのは「手帳」であるが、この「手帳」は、もともと、パチンコ機械の釘の調整と現金残高の確認を目的としたものであって、本来、貸玉料・売上算定のための経理上の資料ではなく、その役割をあたえられることには正確性の面からも根本的な無理があったものといわなければならない。

当期利益の算出に不可欠な(2)の点についていえば、被告人会社の支出等をも記帳していたという被告人の妻の作成による「家計簿」が最も象徴的に示しているように、本件では、被告人会社の資産と被告人個人の資産とを識別していく基礎資料は何もなかったのである。したがってその識別方法もないまま、これを確定させていくことは不可能な状況であったにもかかわらず、被告人会社の資産の算定を強行しようとしたところに本件査察・取調の根本的な無理があったということになる。

このような(1)・(2)の点に関する根本的な無理は取調の内容上の無理を意味している。これに対し、前記昭和四二年一二月一四日の取調などにみられた各種「集計表」をめぐる経過は、明らかに取調における物理的な無理を意味している。

以上の点を総合すれば、誰がみても、本件の取調で、被告人の理解をこえた供述強要の無理が強行されたことは明白である。質問てん末書における被告人の供述は取調官の根拠のない見込と想定を被告人に押しつけ、誘導するというかたちで進められることにより、はじめて形成されるに至ったものであった。

それは、被告人の自由な意思に基づくことなく強制された「供述」であり、本質的には取調官の作文にほかならないものであった。

四 根拠のない取調の結果

1 香川意見の論拠

どの事件の場合でも、取調の経過は、必ずそれなりに取調の結果に反映するものである。

したがって、本件の取調過程で自供の強制があったという問題についても、その結果がいったいどういうものであったのかという観点から、改めて検討しておくことが有益であるとおもわれる。

本件取調結果をごく結論的にまとめてみると、「手帳」に基づいて実際の貸玉料・売上を算定することができるとし、その貸玉料・売上の除外が本件逋脱の主な方法であったということにつきるのである(前記原審六回香川俊夫六・一二丁)。ここでは、そのことについての根拠を検討してみる必要がある。

香川俊夫は、右の「手帳」に基づく貸玉料・売上の計算がどのような合理性と根拠をもっているのかについて、次の点を列挙している(原審六回)。これは、前述の検察官調書の場合と同様に、本質的には、証拠となるべき供述というよりも、査察官・取調官としての立場から述べられた主張ないし意見であるといえよう。

(1) 「売上メモ」について、被告人と北村浩子の供述を総合すると、これは、「昭和四〇年三月の実際の売上げ(注・計三、四六一万〇、三三〇円)と会社の帳簿に記載した売上げ(注・記帳金額二、二九二万五、一五〇円)をそれぞれ記載してその対比、割合(注・記帳金額は実際の金額の六六%)を求めたもの」であり、この「売上メモ」の実際の金額と「手帳」による貸玉料・売上げ金額三、四三四万四、二四〇円との間には二六万六、〇九〇円の差額があり、「いずれを採用すべきかという問題」が生じたが、「売上げメモによる方がより正確であろうと」判断した(一〇・一一丁)。

(2) そうはいっても、「昭和四〇年三月分にかかるところの手帳による売上げ及び売上メモによるところの誤差は……わずかに〇・八%の差にすぎず、この面から」考えて、「手帳による計算は実際のものに間違いないという判断をするに至ったわけで」ある(一一丁)。

(3) 「売上メモ」によると、「昭和四〇年三月の公表売上げは実際の六六%」であるが、同年二月まで、「現実に会社の経理事務を担当」していた畠山華子の供述によれば、「昭和三九年度の売上げ除外については二割五分から三割程度であったという供述もあるわけで……この供述から判断」して、この「公表計上割合六・六%……についても合理性がある」ものと「判断したわけで」ある(一一・一二丁)。

しかし、これらの点は、はたして合理的な論拠になりうるのであろうか。

2 「売上メモ」と「手帳」

まず、「売上メモ」自体がどこまで証拠としての確実性をもっているのか、また、「手帳」とはどのような関係にあるのかを検討してみる必要がある。

前記のとおり、香川俊夫の供述によっても、この「売上メモ」について説明できるのは、被告人と北村浩子の二人だけであり(原審六回香川俊夫一〇丁)。その作成者は北村浩子であった(一審七回北村浩子七一一丁以下、原審二〇回被告人二四丁)という。

そして、北村浩子は、この「売上メモ」の記載内容と意味について、「わかりません」、「記憶ありません」とくり返えしているだけであり、取調に当った査察官に対する供述に関しても、「あの時は国税局の人がこわくて」、「あのときはおどかされてこわかったので……」と述べることに終始している(一審六回北村浩子六八七丁以下、一審七回北村浩子七一一丁以下)だけである。

右の一審六・七回公判廷における供述以外に、北村浩子の供述は、法廷に登場していないのである。つまり、北村浩子の質問てん末書や検察官調書は、一切、証拠になっていないのである。

このように、「売上メモ」の記載内容とその意味および確実性について、北村浩子の供述に頼ることは、とうてい不可能なのである。

そこで、この点に関する被告人の供述を検討してみよう。

二審二〇回被告人の供述によると、「売上メモ」の「正」の数字(注・香川俊夫の供述が「実際の貸玉料」、「実際の売上げ」であるとしている数字)について、次のような説明が登場している(質問者は弁護人である)。

「これは正しい数字を意味するんですか、それとも違うんですか。

それは違います。経費とかいろいろそういうものを入れて計算したのが正で、店長に話をしよったわけです。説明をするために。

正というのは、正当な金額という趣旨とは違うんですね。

そうです。

帳の数字に経費を加えたものを正として記載しよった。

そうです。」(二五丁)

この説明は、必ずしも全体の趣旨が明確ではない(質問が適切でない)けれども、「売上メモ」の「正」の数字が実際の貸玉料・売上金額を示すものではないという点に限っていえば、明確にその趣旨の結論を述べている。このような被告人の供述と前述の北村浩子の供述とをいくら総合してみても、「売上メモ」の記載内容が客観的に正確であるという根拠づけはどこからも出てこないのである。その意味では、「手帳」の記載内容の正確性を裏づける証拠として、この「売上メモ」を位置づけることはできないのである。

ところで、実は、次のような一審二二回被告人の供述も存在しているのである。

「それから四〇年三月に『正』とか『帳』とかの記載があるね。

『正』というのは手帳を基準にして出した計算です。

豊永あき子があなたの手帳の金額にフレーブの金を加えて算出したものかね。

そうです。

従って『正』と書いてあるのは手帳から引き抜いて別に出したものか。

はい」(一二六九丁)

ここでの問題は、証拠物のうち、「手帳」と「横長手帳」のいずれが話題になっているのかということである。

この問題については、右の質問の中で、被告人に対し、「あなたの手帳」と発問している点および、「フレーブの金」が登場している点に注目すべきである。

この二つの点を総合すれば、これは、どうみても「手帳」の方であることが明白である。そうだとするならば、「売上メモ」は、まさに「手帳」から転記されたものであるということになり、本来、「売上メモ」の数字と「手帳」に基づく数字とは合致するのが当りまえだということになる。この場合、前記〇・八%の誤差は、単なる計算ちがいか、転記にともなう誤記があったとみるべきことになる。

こうなってくると、「手帳による売上げ及び売上げメモによるところの誤差は……わずかに〇・八%の差にすぎず、この面から」考えて、「手帳による計算は実際のものに間違いないという判断をするに至った」という、前記の二審六回香川俊夫(一一丁)のいかにももっともらしい論拠は、たちまちのうちに、いかにも馬鹿気た説明に転化し、まったく無意味な説明であったということに帰着せざるをえないのである。

こうして、「売上メモ」に関する被告人の一・二審公判廷における供述のいずれを採用しても、「売上メモ」によって「手帳」の客観的な正確性を根拠づけることは、絶対的に不可能なのである。

また、仮にこれらの被告人の供述の間にくいちがいがあることを理由として、これらの供述を排除してみても、「売上メモ」に関する証拠は他に存在していないのであるから、「売上メモ」によって「手帳」の客観的正確性を根拠づけることなどできるものではないという結論だけは、いささかも動かないのである。

以上の点は、「手帳」に基づいて貸玉料・売上を算定することができるという、本件の取調結果がいかに根拠のないものであり、それに関する香川意見の論拠がいかに空虚ででたらめなものであったのかということをはっきり示している。

3 「売上除外」と申告

次に、昭和四〇年三月の「公表売上は実際の六六%」であったという、「売上メモ」と「昭和三九年度の売上げ除外については二割五分から三割程度」という畠山華子の供述はほぼ符合するので、「売上メモ」の「売上除外」には「合理性がある」と判断した旨の香川意見の論拠を検討してみよう。

ここでは、右の畠山華子の供述内容の真実性をすこしも検討する必要がないことを指摘しておきたい。

この畠山華子の供述内容が真実であるとしても、その「売上除外」が被告人会社の経理事務担当者であった畠山華子によって会社の帳簿に記入される段階のものであった以上、本件ではもともと論議する必要がないのである。

もっとも、この上告趣意書で、これまで論議の対象にしてきた「売上除外」も、すべて、この畠山華子の供述の場合と同様に記帳段階のものであった。

なぜ、記帳段階の「売上除外」がもともと問題にならないのかといえば、被告人と被告人会社が昭和三九年度の「法人税の申告に際しては、その帳面からはずした売上金の合計として、三、三〇〇万円を売上金に追加した上申告して」いた(43・5・9(検)被告人一一六五丁、同旨の供述として、43・5・15(検)被告人一二一八丁以下、一審二一回被告人一二五四丁、一審二二回被告人一二六九丁)からである。

被告人は、この三、三〇〇万円の売上追加について、次のように述べている(43・5・15(検)被告人)。

「簿外になっていた売上金額がそれだけだと考えていたのでそれを追加して申告すれば税務署の方からとやかく云われることはなくその他に売上除外金が残っていたとは考えていなかったのです」(一二一八丁)

「国税局の方では手帳から五、〇〇〇万円余りの金額が出ている様ですが此の手帳の計算をすれば私の述べて来た三、三〇〇万円に近い金額が出る筈ですのでもう一度計算し直して貰い度いと思います」(一二二四丁)

つまり、被告人にとって、この売上追加が公訴事実否認の最強の根拠になっているのである。

この売上追加の事実は、一審一〇回野島勝の証言(七八四丁)によって明確に裏づけられている。証言時の野島勝は、すでに被告人会社の顧問税理士を辞めていた(七七九丁)のであるから、被告人や被告人会社のためにあえて事実を曲げなければならないような立場にはなく、その証言は真実と認められるのである。

ところで、この野島証言の尋問調書には、次のように、何とも奇妙な部分がある。

「裁判官

然し少し増そうという話は

ありました

現実に売上金を増したのですか

はい畠山さんは、五、六百万円の所得として税の申告をしてありましたのでそれになるように売り上げ金を操作しました

大体二、六三〇万円位売り上げ金額を追加したのではないですか

いいえこの計算でいくと、三、三〇〇万円位になります。思い出しましたが昭和三九年三月三一日現在と比較して前期が三億円位だったので、それ位にもって行かないとおかしい、店が一つ増しているので……と話をしました」(七八四丁)

いったい、裁判官は、どこからこの「二、六三〇万円」という金額を持ち出してきたのであろうか。なぜ、裁判官は、この「二、六三〇万円」という金額を質問の中で提示することができたのであろうか。

また、「この計算でいくと」という野島証言は、いったい何を指しているのであろうか。それは、どのような「計算」を意味しているのであろうか。

これらの疑問に対する解答は、この野島証言の尋問調書には見当らないし、法廷に提出された他の証拠にも示されていない。

そこで、念のために、43・5・18(検)野島勝(一審第三回準備手続で検察官の取調請求、第六回準備手続で不同意・撤回)をみると、次のような供述記載がある。

「試算表を作成したところ借方に比較して貸方の方が七四〇万七、四七五円足りませんでした。この原因を検討することなく貸方の売上金に七四〇万七、四七五円の不一致相当額を追加しました。……(さらに玉井の社長と相談して)決算書の売上項目に更に二、六三〇万一、六八一円を追加して前年度の売上総額と略々近い売上金を算出すると共に……」

おそらく、野島証言における実際の問答の中では、このような説明が登場していたのではないであろうか。その説明が、尋問調書作成の段階で、前記引用のとおり要約されてしまったのではないであろうか。それ以外に右の疑問を解消すべき答は存在しえないようにおもわれる。

以上の数字に、公訴事実および一・二審判決の認定事実における「実際の所得」・三、七八九万七、八〇三円と「法人税申告書」の所得・三七六万九、二四三円をふくめて一括整理してみると、次図のような構成になる。

〈省略〉

これによれば、「公表金額」といっても、右のとおり〈1〉と〈2〉の二種類あることがはっきりする。そのうち、「実際の売上の六六%」であったとか、「二割五分ないし三割程度」の「売上除外」があったなどということで終始問題になってきた「公表金額」は、もっぱら〈1〉であった。これに対し、本件で査察・取調の対象になったのは、本来、〈2〉のはずである。法人税の逋脱に関する査察・取調とその対象について、43・5・6(検)香川俊夫は次のように述べている。

「法人税申告に際しては先ず課税の根拠となるべき年間所得の内訳が貸借対照表及び損益計算書によって示されることになりこれ等決算書類が法人税申告書に添付されて所轄税務署長に提出されます。国税局査察課に於て犯則調査を行うについては、先ず右公表決算書類に表われていない資産、負債、収益、損失を証拠によって確定しそれ等のものを右公表決算書類に各項目毎に追加し、これによって修正貸借対照表、修正損益計算書を作成し……」(四八四・四八五丁)

つまり、本件における〈1〉の被告人会社の帳簿上の公表金額は、申告時にすでに〈2〉のとおり被告人および税理士・野島勝によって修正済みになっていたのであって、当初から本件査察の対象になっていなかったし、また、なりえなかったものなのである。

そして、実際の所得がはたして〈3〉の線まで到達しうるのかどうかこそ、本件における中心問題であった。

しかし、実際の取調では、〈1〉に関する「売上除外」の問題にほこ先が集中していたのである。

これらの点を総合すると、誰がみても、次のような結論がはっきり導き出されてくる。

第一に、前記〈1〉の帳簿の公表金額に関する「売上除外」の事実をいくら認めても、それ自体まったく無意味であって、これに関する供述証拠は、前記のとおり取調における無理な強制をはっきり示しているという以外には、いかなる意味においても一切実体的な証拠価値をもちえないというべきである。

第二、前記〈2〉の申告書の公表金額について「売上除外」があったことを認める供述証拠は皆無であり、この点については、検察官調書の段階でも、一・二審の審理段階でも被告人の積極的な否認が一貫している。

第三、それにもかかわらず、本件証拠上、〈1〉に関する「売上除外」を認める供述証拠がかき集められることによって、「売上除外」の事実そのものには争いの余地がないかのような雰囲気がつくり出され、その結果、いかにも〈2〉についての「売上除外」が大巾に存在していたことをも被告人らが認めているかのような雰囲気がつくり出されるに至っている。

この第三の点などは、まさに、問題の所在をすりかえ、事実認定のうえで大きな錯覚を生じさせているのではないかという意味で、まさに詐欺の論法というべきものである。

このような状況が発生することになったのも、ひとえに、申告時における三、三〇〇万円の売上追加という事実を正当に位置できることなく、実質的には無視してしまったことによるものといわなければならない。

このように、「公表売上は実際の六六%」であったという点を根拠として、「売上メモ」の信用性や「売上除外」の真実性をいくら強調してみても、そのことが修正済みである以上、被告人や被告人会社による本件逋脱をすこしも論証したり裏づけたりしたことにはならないのである。

「売上メモ」に基づいて「手帳」の信用性を論じることは、この面でも崩れているというべきである。それは、かえって、香川意見の論拠がいかに空虚なものであり、欺瞞に満ちたものであるのかをはっきり示しているだけである。

なお、前記一審一〇回野島勝の証言によれば三、三〇〇万円の売上追加と同時に仕入額も一、八〇〇万円か一、九〇〇万円ふやした(七八四丁)という。この点については、43・5・15(検)被告人も、「フレーブの仕入を一、八〇〇万円追加しました」(一二二三丁)とはっきり述べている。

したがって、「手帳」に基づく貸玉料売上総額の認定は不可能であり、かつ申告時に記帳よりも三、三〇〇万円の売上追加を実行したという状況のもとで、被告人会社の法人税逋脱の有無を問題にするということになるならば、右の売上追加分が適正であったかどうかという問題のほかに、右の仕入追加分が適正であったかどうかも検討されなければならなかったはずである。

売上追加分が適正であっても、仕入追加分が過大であればやはり逋脱の問題が生じてくるからである。

その場合には、貸玉料・売上の過少申告が問題になるのではなく、仕入にかかわる経費の過大申告が問題になるはずである。そうなれば、本件における争点も、問題の所在も大いに様相がちがってきたはずである。本件では、そのような問題の可能性が検討された形跡さえまったくないのである。

このことは、本件の査察において、逋脱の有無に関する多角的な調査も検討もなかったということを示し、「手帳」に基づく貸玉料・売上総額の算定という取調官の予断だけが先行していたということをはっきり示しているものというべきであろう。

4 取調結果の問題点

以上のとおり、「手帳」に基づいて実際の貸玉料・売上の総額を算定することができるという点と被告人と被告人会社による「売上除外」の事実が存在していたという点に関する香川意見の論拠は、いずれもすべて完全に否定され、崩壊しているのである。右の二点に関する香川意見の検討は、その論拠の「合理性」をどこにも発見できなかったというだけでなく、かえって、本件における取調の結果がいかに実体的な根拠を欠くものであり、でたらめなものであったのかという実情をこのうえなくはっきり暴露することになってしまったのである。このように、根拠のない取調結果がいったいどこから生まれてきたのかについて、眼を取調の進め方に戻してみる必要がある。

「手帳」や、「家計簿」や各種「集計表」をめぐる根拠のない無理な取調の経過が不可避的に根拠のない取調結果を生み出したにすぎないというべきである。

被告人の質問てん末書における支離滅裂な供述内容も、結局、このような取調の経過と結果を反映するものにほかならない。

五 証拠能力の総合的判断

1 被告人の健康状態

被告人の質問てん末書の証拠能力について、総合的な結論を導き出すに先立って、やはり、その当時の被告人の健康状態にもふれておかなければならない。

この点については、二審二〇回被告人の次の供述を引用しておきたい(同旨、一審二一回被告人一二五一ないし一二五三丁)。

「あなたは、さきほど言われた三九年一二月九日に入院し、手術受けましたね。

はい。

どういうふうな手術でしたか。

肺の切断で、三分の一か切ったです。

どちらの肺なんですか。

左です。

左の肺結核だったんですか。

そうです。

左の上、下。

下です。

下、三分の一を切除したということなんですね。

そうです。

脱税のことで調べを受け始めましたね。

はい。

これは、何年から調べを受けたんですか。

四二年の六月。

もう体力は回復しておりましたか。

まあ、大体は良かったと思います。

あなたは、調べが朝早くから夜遅くまで続いた、そういうふうなことも言うてますね。

ええ。

取調べに耐えられるような体力になっとったんですか。

それは、ちょっと疲れて、で、中間ごろじゃなかったかと思いますけど、朝の九時から晩の九時まで一回ありまして、その朝調べに入ったときに、すぐ御飯も食べてください言われたけん、けっこうです言うて食べました。で、食べて、売店の食堂があって、食べてくれ言うて食べて、それですぐトイレへ行きましたが、早う来んかいうあれがありまして、それからずうっと休みなしで調べられて、それから夜高松の家へ帰りまして、ちょうど佐々木さんの家へ泊まりよりましたけん、

あなたは、取調べしておった香川さんに、診断書を出したことがありますね。

ええ、あります。

いつのことなんですか。

ひにちははっきり忘れましたけど、調べの中間ごろでなかったかと思います。

昭和四三年(注・四二年の誤り)の、八月一〇日前後ですね。

ええ。

どういうことで診断書出したんですか。

それが、朝の九時から晩の九時まで調べられて、体が疲れて、どうしてもようあれせんで、朝高松から帰って診断を受けました。

結局、このときに、近森病院の先生に、二週間の安静加療を要するという診断書が出たんでしたね。

そうです。

これを香川さんに提出した、こういうことなんですね。

そうです。

取調べがきつかったわけですか。

ええ、きつかったです。

まだ十分な体力にはいたってなかったんでしょうか。

ええ、そうです。十分じゃなかったです。」(七ない九丁)

このうち、「肺結核で二週間の安静加療を要する」という昭和四二年八月一〇日付の近森病院の診断書が国税局に提出された事実については、原審九回香川俊夫も、これをはっきり認めている(一二丁)。

また、当時の被告人の健康状態に関し、右の被告人の供述を否定するような証拠はどこにもない。

この被告人の健康状態については、肉体的な健康状態の問題だけではなく、ほんとうは精神的な健康状態をもふくめて、もっと全体的な状況を明らかにする必要があったので、付言しておきたい。

実は、昭和三六年ごろから、被告人会社の各パチンコ店に対する暴力団の介入の試みがはげしくなり、これを断固として拒否し続けた被告人に対する暴力団側の圧力は猛烈なものになっていった。昭和四二年当時も、容易に屈服しない被告人と被告人会社に対する暴力団側の基本方針は、被告人の社会的地位を失墜させ、被告人会社の各パチンコ店をつぶしてしまうということであった。その方策の一つが被告人と被告人会社による「脱税」を大きく宣伝する(機関紙が利用された)攻撃であった。43・5・6(検)香川俊夫の供述によると、「匿名」の「投書」が本件査察の端緒であった(四七八・四七九丁)という(二審九回香川俊夫一・二丁は「記憶にございません」と述べているが、それだけでは、検察官調書の供述を否定したことにはならない)。香川俊夫は、これを「玉井会館の元従業員と推定される者から」(43・5・6(検)香川俊夫四七八丁)の「投書」とみているようであるが、そのような「退職従業員」がいたわけでもなく全然実情に合わない「推定」であった。当時の状況から被告人と被告人会社をつぶしにかかっていた暴力団側の策謀であるとみていた人びとが多かったことだけは確かである。いずれにせよ、被告人の立場からみると、本件によって、暴力団と国税局・検察庁の二方面から「脱税という攻撃を受けることになり、国税局や検察庁まで暴力団の肩をもつのかという心境にならざるをえなかったのである。しかも、それは、肺の一部切除という大手術を受けた後、まだ十分に回復するに至っていない段階での事態であった。さすがの被告人も、この事態のひどさに一時的には、絶望的な気持から、香川俊夫らの取調に対して、「もうどうでもよい、もう早く済ませてくれ、適当に書いてくれ」という態度をとったのであった。しかし、その口惜しさと怒りが消滅してしまうはずもなく一・二審での争いになったのである。被告人にとって、本件は、単に「脱税」の事実があったかどうかだけの問題ではない。長年にわたる暴力団とのたたかいの中で、暴力団が被告人に貼りつけようとした「脱税者」のレッテルをはがすことができるかどうかの問題なのである。被告人としては、その点で敗れるわけにはいかないのである。被告人が暴力団の介入を絶体に許さないという方針を貫徹させたことによって、被告会社は、現在、パチンコ業界では高知県随一の高額納税者としての地位を固めている。それだけに、暴力団による「脱税者」のレッテルを除去して、暴力団とのたたかいに真に勝利することがますます重要になっている。

このことが、本件の審理にのぞむ被告人の基本的な立脚点であった。被告人の健康状態の問題にも深刻にからんでいるこれらの実情が一・二審の審理の中でほとんど明らかにされなかったことは、まことに残念である。

2 総合的な結論

以上のとおり、本件の取調に関し、被告人の質問てん末書における支離滅裂な供述は、取調官が事実に反する内容を被告人に無理に押しつけたり、誤まって誘導したりすることによってのみ生まれてきたのではないかという重大な疑問を提起することになった。この重大な疑問は、取調の経過と結果を総合的に検討することによって、ますます大きく増殖され、もはや、誰の眼にも否定することのできない不動の事実として確立されるに至っている。

とくに、本件事実認定の基礎資料として位置づけられている「手帳」・「売上メモ」・「家計簿」等の証拠物をめぐる問題の追求は、本件取調の過程と結果がいかにことごとく根拠を欠くものであり、でたらめきわまりないものであったのかをはっきり物語っている。それらの問題がすべて被告人の質問てん末書の供述内容に結びついているのである。

そのことに、被告人の当時の健康状態(前記付言の部分を別にする)という要因が加わるのである。

これらの点を総合するならば、被告人の質問てん末書は、いずれも明らかに任意性を欠くものであるといわなければならない。

なお、原判決は、右の質問てん末書における供述拒否権の不告知について、次のように判示している。

(1) 収税官吏がその質問に先立ち被告人畠山に対し供述を拒みうる権利のあることを告知した事跡のないことは右質問てん末書の記載により明らかである。

(2) 憲法三八条一項の趣旨は、国税犯罪事件の場合にも保障されるべきである。

(3) が、国税犯則取締法には刑訴法一九八条二項と同旨の規定を有しないため、収税官吏が供述拒否権のあることを告知しなかったとしてもその手続が刑事訴訟法に違反するものではない。

これでは、(2)と(3)の理由が完全に矛盾しているものといわなければならない。(2)の点が憲法上の権利保障として明確になっている以上、(3)の国税犯則取締法がどうなっていようと供述拒否権の不告知は憲法違反ということになるはずである。もし、(3)の点が通用してしまうのであれば、(2)の点はまったく無意味になってしまうのである。

本件取調の経過をみても、質問てん末書作成の段階で供述拒否権が告知されていたかどうかは、現に取調を受ける被告人にとってきわめて重大な影響をもったはずである。

もともと、供述拒否権は、取調を受ける側の基本的人権を保障するために、憲法三八条一項で規定したのである。

ところが、原判決は、その不告知の事実を取調を受ける側に立って考えるのではなく、取調をする側に立って考えてしまったのである。これは、逆立ちである。

右(2)と(3)の点の基本的矛盾は、まさにその逆立ちに起因するものといわなければならない。

こうして、右(1)・(2)の点が明確である以上、本来それだけでも、被告人の質問てん末書の証拠能力は否定されるべきものであった。

まして、本件では、その供述内容、取調の経過と結果等を総合することによって、質問てん末書に任意性のないことがすでに疑いの余地なく明確になっているのである。

したがって、それらの点に、この供述拒否権不告知の事実をも加味するならば、被告人の質問てん末書の証拠能力をいっそう厳しく否定すべきことになるのである。

Ⅱ 事実誤認・審理不尽の違法

一 一・二審判決の事実認定

「貸玉料算出の基礎を押収に係る手帳の記載及びこれに対する被告人の説明に置」くことを検察官主帳のとおりに認めた一審判決とそれを支持した原判決が根本的に誤まっていることは、前記Ⅰ「質問てん末書の不任意性」の項で明らかにした諸点からすでに明白である。その論証の実質的内容が被告人の質問てん末書の任意性を否定するとともに信用性をも否定し、「手帳」・「売上メモ」等の中心的な基礎資料の証拠価値も全面的に崩壊させているからである。その中で、査察官の取調の経過・判断・結論が、全行程にわたっていかに根拠のない、欺瞞に満ちたものであったのかということも明らかにされた。

こうして、前記Ⅰ「質問てん末書の不任意性」の項の内容は、同時に、そのまま事実誤認・審理不尽の違法を明らかにするための土台になっているのである。つまり、ここでは、その土台の上で補足的な検討を進めていくことにしたい。

補足すべき問題は、第一に「貸玉料総額の認定不能」の問題であり、第二に「会社資産の識別不能」の問題である。しかし、不思議なことに、一・二審判決とも、右第二の点については、いかなる認定・判断も示していない。

そこで、右第一の点に関する一・二審判決の認定を整理しておこう。

一審判決は、この点について次のように認定している。

(1) 「もし弁護人主張のように本店事務所から各支店を通じないで直接景品交換所にフレーブ代が支払われ、それが右手帳の記載に反映されていないとすれば検察官の右算出は正にその基盤を失うことになる。」

(2) 「右の直接支払いは極めて例外的な場合即ち、開店早々の時期、雨天の時など特殊な時期にたまたまフレーブの払出額(金額に算出して)が売上額を上廻った場合である」

(3) 「弁護人主張のように事務所よりの直接払いが右手帳に反映されていなければ右目的のためには用をなさない」

(4) 「既に説示したように『他店からの借り』、『本店事務所からの直接支払』について甲、乙メモより手帳に移記する際調整済であり、その証拠に右側に赤字によるマイナスの記載がある」

このうち、(3)の点は、「手帳」の目的がパチンコ機械の釘の調整にある以上、もともと筋のちがいの話として成立しえないものであって、このことは、前記Ⅰ・三「無理な取調の進め方」の1「『手帳』の目的」で明らかにしたとおりである。

また、原判決は、一審判決認定の「犯罪事実を優に肯認することができ、当審における事実取調べの結果によっても右の判断は動かしがたい」と判示し、一審判決が「貸玉料過大算出についてと題して判示するところは当裁判所も全面的にこれに同調しうる」と述べ、その中でもとくに右(2)・(4)の点(以下、「特別の事務所払」とよぶ)については判決理由を補足している。

本件証拠上、一・二審判決が認定したように、「特別の事務所払」が存在していたこと、およびそれを「手帳」に「移記する際調査済で」あったこと(一審判決)は、いずれも明らかであるから、これら事実それ自体について争うべき余地も、必要もない。問題は、そのことを前提としつつ、「特別の事務所払」以外に別の「事務所払」が存在したのか、存在したとすればどのような「事務所払」であったのかという点の検討にしぼられてくるのである。

その結果、一審判決の事実認定における前記(1)の点は、いったいどうなるのかが、ここでの焦点である。

このほかに、前述のとおり、「会社資産の識別不能」をめぐる問題がここでのもう一つの焦点である。

二 貸玉料総額の認定不能

1 「事務所払」の性格

本件では、被告人会社におけるフレーブ代金の支払について、本店事務所から直接支払う場合はあったのかが、一審以来争われ、前記のとおり、一・二審判決は「特別の事務所払」の存在だけを認めたのである。

しかし、真の争点は、「事務所払」があったのかなかったのかではなく、どのような「事務所払」があったのか、であったとおもわれる。

もともと、「事務所払」は、時と状況により、必要に応じて実施されていたはずであるから、一種類のものに限定されるわけのものではなく、多様であってもおかしくはないのである。むしろ、その性格からみて、多様であることが自然であり、当然であるといえよう。

したがって、本件における「事務所払」の問題については、本来、それを必要とする状況を、被告人会社の日常的なパチンコ店常業活動の流れに即して系統的に明らかにすることが必要であった。

ところが、一・二審における現実の審理では、いずれの人証の場合も、「事務所払」の問題がきわめて断片的にしか説明されていないのである。

その責任はもっぱら尋問する側にあったものというべきである。「事務所払」があったのかなかったのかをまず問題とし、あったとすればどのような場合であったのかを附随的に質問していくような尋問であれば、回答も、その時どきの調子で断片的なものになっていくことは避け難いであろう。

なぜ「事務所払」が必要になったのか、どのような「事務所払」が存在していたのかを明らかにしていくためには、その基盤となるべき事実関係を明確にしていくことが先決であり、その意味で、被告人会社における日常的なパチンコ店営業活動の全体像を系統的に明らかにすることが基本的な事実になる。それは、被告人会社と各店の日常の営業活動と相互の連絡・調整について、一日二四時間の流れを跡づけてみるということであって、そのこと自体、けっして難しいことではなかったはずである。

残念ながら、一・二審の審理では、このような基本的観点とそれに基づく審理とが根本的に欠落していたものといわなければならない。

2 供述証拠の整理

そこで、この「事務所払」に関する断片的な供述証拠を寄せ集めてみて、その中からどのような問題が浮び上ってくるのかを検討してみよう。この場合、誰の供述が信用できるのか、また、誰の供述が信用できないのかということを予め断定しないことにする。

この問題に関する各供述のそれぞれについて、その信用性を否定すべき格別の根拠があるものとは見受けられないし、それらの供述をならべてみていったい何が浮上してくるのかを観察することの方が先行すべきものであると考えるからである。

以下、要点を整理してみる。

(1) 毎日、閉店後、本店事務所に各店から「甲・乙メモ」と「当日の現金残高」(一審判決)が集められ、「手帳」に記入されることおよび、フレーブ代は翌日支払われることは、本件証拠上明らかであり、一・二審判決が認定しているとおりである(なお、一審判決は、各店長が「毎日午後四時と閉店後の二回にわたって本店事務所に二枚のメモと当日の残高現金を持参し、」と認定しているが43・5・10(検)被告人一一八一丁によると午後四時の集金分は「記帳せず、その日の夜に持参される現金と一緒にして計算していました」ということであり、一審六回北村浩子もメモは「一括したものを持ってきていました」と述べているので、甲・乙メモは午後四時にはなく、閉店後の一回だけであったと認められる)。

(2) 各店から事務所に集められる右「当日の現金残高」は、「売上げだけでなくつり銭も含めて店に残った現金を総て持ってくる」わけで、「店にはお金を置かない」システムになっていた(一審一二回畠山美恵子八〇三丁)。

(3) 山下照子は、昭和三九年、被告人からフレーブの仕入を頼まれ、旧はりまや店とニュー玉井店を受け持ち、後に本町店も受け持ったがこれは息子にアルバイトをさせた(一審二〇回山下照子一一一二丁ないし一一一四丁)という。このフレーブ仕入は、「組合でフレーブを自分が扱ってはいかんということになったらしい……警察のほうも組合のほうもやかましい」(右一一一三丁)ということで頼まれ、「朝早くから事務所の奥さんから(注・金を)もらってそれからフレーブを交換しよる場所へお金を渡してフレーブを店へ持っていく」(右一一一四丁)という手順で進められ、「奥さんから預って」フレーブ屋に支払った金額は、「はりまやのほうは六万円から八万円それからニューのほうは三二万円持って行ったと記憶して」いる(右一一一五丁)ということであり、「息子は金の扱いはしません」(右一一一五丁)ということであった。

(4) 川田初子は、昭和三七年から四一年まで、玉井会館に勤務して洗濯・炊事・掃除などをしていたが、昭和三九年から四〇年にかけて被告人の妻に頼まれ、フレーブ代金を帯屋町本店のフレーブ交換所に払いに行ったことがある(一審一九回川田初子一〇三一・一〇三五丁)という。このフレーブ代金の支払は、「合計して一四、五万多いときがそのくらいやったと思いますがね、まあ一件としては三万そしてまた多いときもあり少ないときもあったとは思いますけど……」(一〇三二丁)、「休むときもありますけど……毎日といっていいくらいですろうねえ」(一〇三九丁)、「多分朝じゃなかったろうかと思いますけど」(一〇四一丁)という状況であった。

(5) 昭和三九年七月六日付で高知警察署から景品の買取を禁止する旨の通達が出たため、「景品の換金禁止」に関するパチンコ店組合の高知支部長代理作成の文書(一〇九八丁)が各業者に配布されるという事情のもとで、被告人は、次のような対策をとったと述べている。

「店から直接フレーブ屋に払うたらいかんということがありまして、それで事務所払いを、事務所が朝早うに支払いをして、それも全部じゃなかったと思いますけんど、今まで五回くらい行きよったのを、まあ二回か三回、半分くらいに減すような回数にして、まあ目立たんような、そういうようなことをしよりました。……(通達が来てからは、店の支払回数を減す代りに)事務所が払うように、朝早うに。残金から払います。手帳へは夜一一時ごろつきますきに、それから朝八時ごろ払いますきに、ちょっとダブルようなかっこうに、で、店からは朝払うたものを払うに及ばんようになるわけです。そういう関係で、残金がその日は増えるということになるわけですね。そういうのが繰り返しみたいなかっこうになります。」(二審二〇回被告人一八・一九丁)

右(3)ないし(5)の各供述証拠を総合すると、被告人会社では「景品の換金禁止」の通達が出たという状況のもとで、朝早く、それも午前八時ごろ、事務所の金の中からフレーブ代の一部を支払い、フレーブを仕入れ、このフレーブ代の一部支払は手帳に記入されなかったという事実が浮び上ってくる。

そこで、これらの事実をそのとおり認定できるものかどうかについて、さらにこれを右(1)・(2)の点とも関連させながら、慎重に検討してみる必要がある。

3 フレーブ代の一部支払

右(3)の山下照子の供述によれば、被告人会社が「朝早く」フレーブを仕入れていたということになる。とくに、アルバイトの「息子は金の扱いはしません」ということで、仕入作業だけに従事していたということになる。この点は、信用できるであろうか。

被告人会社の各店が一日に何回フレーブの仕入れをするのかは毎日の営業状態により、また各店により必ずしも一様ではなかったかもしれないが、その仕入回数が何回であったにせよ毎日欠くことのできなかった定時の仕入が一回はあったものといわなければならない。それは、毎日の開店前(周知のとおり、パチンコ店は毎日午前一〇時に開店される)の仕入である。フレーブの仕入が一時に大量のものを仕入れてたくわえておくという性質のものではなく、一日に何回か仕入れながら回転させているものである以上、毎日の閉店時にはストックが少なくなっているはずである。したがって、およそ、景品としてのフレーブを準備しておくことの必要性は、開店前の段階においてこそ最も大きかったものと認められるのである。

そうである以上、山下照子の供述における「朝早く」のフレーブ仕入の事実は、十分に客観的根拠をもつものとして、その真実性を認められるべきである。

そして、毎日の開店前にフレーブを仕入れるということになると、前記(5)の被告人の供述のように、「全部じゃなかった」にしても、前日のフレーブ代の一部ぐらいは、その日のためのフレーブ仕入と引換えにフレーブ交換所に支払わざるをえなかったはずなのである。もちろん、前記の山下照子の息子が仕入だけを担当し、前記(4)の川田初子がフレーブ代金の支払だけを担当するという分担はあったにしても、被告人会社と各フレーブ交換所との関係についていえば、早朝のフレーブ仕入と引換えに行われていたものとみるべきことには、十分に合理的な根拠があるものというべきである。むしろ、前日のフレーブ代を一切払わないまま、毎日の開店前のフレーブ仕入だけをどしどし進めるなどということは、被告人会社にのみ都合のよい話であって、おそろしく非現実的であり、非常に考えにくい措置である。

このような、毎日の開店前におけるフレーブ代の一部支払については、次の要素を改めて確認しておくことが決定的に重要である。

第一に、前記(1)のとおり、フレーブ代の支払は翌日であること。

第二に、前記(2)のとおり、毎日の閉店後、各店には現金を置いていないこと。

第三に、前記(3)・(5)のとおり、開店前のフレーブ代の一部支払とフレーブの仕入は、「朝早く」であり、「午前八時ごろ」であったこと。こうなってくると、毎日の開店前における前日のフレーブ代の一部支払は、事務所の前日の「残金」の中から支出する以外に手段がないということに帰着せざるをえないのである。

開店前の各店には現金が一銭もなかったからである。開店前の各店は、その日のためのフレーブ仕入と引き換えに前日のフレーブ代を払いたくても払うことができなかったのである。

こうして、前記(1)ないし(5)の事実ならびに各供述証拠を総合すると、被告人会社は、毎日開店前の段階で、前日夜各店から集められた「残金」を使って、翌朝午前八時ごろ、その日のフレーブの仕入と引換えに、前日のフレーブ代の一部をフレーブ交換所に支払い、その支払は「手帳」に記入されていなかったものと認められるのである。

4 一・二審判決の誤まり

右のような被告人会社の事務所による「フレーブ代の一部支払」があって、それは「手帳」に記載されないという事実は、すでに指摘したように一・二審判決が認定した「特別の事務所払」とけっして矛盾対立するものではなく、いくらでも両立しうるのである。

一・二審判決の視野に、なぜこれらの事実が入ってこなかったのであろうか。

もし、一・二審判決が、右の事実関係や証拠のすべてを無視して、はじめから「特別の事務所払」しか認めないという態度を決めていたものとするならば、それは予断と偏見に基づく事実の認定であったといわなければならない。

ただ、このような「フレーブ代の一部支払」の事実そのものを正面から明らかにしていくという点で、審理が十分ではなかったことも否定できないから、ここでは、重大な事実誤認と審理不尽が表裏一体のものとして構成されているのである。

こうして、毎日の開店前における事務所の「フレーブ代一部支払」の事実が存在することによって、今や、「本店事務所から各支店を通じないで直接景品交換所にフレーブ代が支払われ、それが右手帳の記載に反映されていない」(一審判決)ことが明確になったのである。したがって、「貸玉料の算出の基礎を押収に係る手帳の記載及びこれに対する被告人の説明に置いている」検察官の「右算出方法は正にその基盤を失うこと」(一審判決)になったのである。

三 会社資産の識別不能

1 本件査察の基本的態度

かりに、「手帳」に基づく貨玉料・売上総額の算出が可能であったとしても、それが資産としてどのような形で残っているかが明らかにされない限り、所得の算定も不可能であり、法人税逋脱の問題は出てこないのである。

したがって、被告人会社の資産の適正な評価が本件公訴事実成立のための前提要件であり、有罪の事実認定における不可欠の柱であることは、すでに指摘したとおりである。そのためには、何よりも、被告人会社の資産と被告人個人との資産の区別が決定的に重要である。

しかし、一・二審判決がこの問題に十分な検討を加えて事実を認定したものとみるべき形跡はまったく存在していない。

一・二審判決がその理由の判示の中でこの問題にまったくふれていないということは、査察官と検察官の主張を無批判に全部認めてしまったということをはっきり示しているのではないであろうか。そのことから、この問題に関する重大な事実誤認が生まれてきたのではないであろうか。

本件における審理不尽と事実誤認との表裏一体の関係が、この問題についてもはっきり登場してくるのである。

そこで、この点に関する本件査察の基本的な考え方ともいうべきものをふり返えっておこう。

43・5・6(検)香川俊夫は次のように述べている。

「……玉井会館では、右の預金の他不動産を相当多量に取得し、或は又法人、個人に対して貸付を行っている事実が判明した他犯則所得によりそれ等の資産が構成されていないと消極的な証拠を全く認めれ事が出来ませんでした……」(四八一・四八二丁)

何というひどい考え方であり、態度であろうか。本来ならば、被告人会社に帰属する資産を合理的に確定し、その所得を適正に算出したうえで、はじめて犯則所得の有無が明らかになるはずである。もし、右の傍線の部分の考え方をそのまま認めるならば、納税者である国民は、はじめから「脱税者」であると推定され、「犯則所得によりそれ等の資産が構成されていない」ことを証明しない限り、国税犯則取締法の対象になることを覚悟しなければならないということになる。話が逆なのである。国税犯則事件では、国税局にしても、検察官にしても、本来、資産が犯則所得によって構成されているという事実について、これを疑問の余地がないところまで明確に証明する責任を負っているのである。その基本を逆転させて、納税者を頭から「脱税者」として犯罪者視し、責任を納税者の側に押しつけることは絶対に許されないのである。

このようなでたらめな考え方と権力主義の本質こそ、本件査察の全体をつらぬく基調であり、基本線であった。

以下、その考え方がどのように具体化されているのかについて、本件の修正貸借対照表の中から銀行預金と貨付金の二科目を取り出して検討してみよう。

この修正貸借対照表によると、「当期増減金」の合計は七、三一二万六、五四九円増になっていて、そのうち「銀行預金」が二、〇七九万〇、八四八円増、「貸付金」が二、七一九万一、一八八円増になっている。この二科目だけで、当期増額分の実に六五%を占めていることになる。

したがって、この二科目の算定がどのようなものであったかは、こと修正貸借対照表の生命線に直接影響するのである。

2 銀行預金の識別不能

銀行預金についても、当然、被告人個人のものか、被告人会社のものかという問題がある。本件期首におけるこの問題に関して、43・5・22(検)香川俊夫は、次のように述べている。

「ここで注意しておきたいのは

1 畠山個人名義の預金(総額一、九〇七万七、三七四円)を何故会社の簿外預金と認定したか

2 特定の預金のどの部分が簿外で、どの部分が公表分か

3 これらの仮名預金を会社のものだと認めた根拠

であります。 1については、実質上会社の簿外預金であるという積極的な証拠はないが個人の収入状況からはそれだけの預金が発生しないと認められることと、会社の公表帳簿には銀行預金の項目があって一、五六一万円余が記載されているところ、これは定期預金と認むべき(その動きから)であるのに会社名義の定期預金、積金がないこと等によるものです。

2の区分を行うことは全く不可能です。

3根拠は、(1)畠山本人の供述、(2)銀行員の供述、(3)四一年一〇月一八日……これらの仮名預金が……高松、高知各相互より相殺されている、(4)高松相互よりの差押物件(検領……)によるとこれらの仮名が出てくる、等です。」(五五九ないし五六一丁)

右の傍線部分の供述は、銀行預金について、被告人個人のものと被告人会社のものとを識別すべき積極的な根拠が何も存在していなかったことを香川俊夫自身がはっきり認めていたという点できわめて重要である。

その他の理由もきわめて根拠薄弱である。

それぞれの理由について論ずべき問題は少なくないが、ここでは、一つの問題だけを取り上げておこう。

それは、どのような理由をもってきても、被告人個人の銀行預金をゼロと認定し、個人名義の預金も、「仮名預金」も、そのすべてを被告人会社のものと認定する根拠にはとうていなりえないという問題がある。

被告人は、「昭和二四年以来パチンコ営業を続け」(一審判決)、業界でも有数の成功した事業経営者であって、当時すでにその社会的他位を確立していたのである。その被告人の個人の銀行預金がゼロなどということは絶対にありえないのである。

ところが、国税局・査察官は、被告人個人の銀行預金をゼロと認定して、その全部を被告人会社のものと認定してしまったのである。

このことは、前述のとおり、大部分が被告人個人名義の口座か「仮名口座」になっていた銀行吸金の全部(42・12・14(質)被告人添付資料各明細表・同年同月一一日河上忠明作成)を被告人会社のものとみなしてしまわない限り「修正貸借対照表」の銀行預金額を算出できないこと、被告人個人の銀行預金の存在を認めたという資料がまったくないこと、現に被告人の個人収入を「給料・配当金・賃貸料・賞与・個人貸付利息」(42・12・22(質)被告人添付「個人収入一覧表」同日香川俊夫作成・(五六八丁)に限局して、被告人個人の銀行預金に対する利息収入を一切認めていないことなどの点において、はっきり示されているのである。

この問題については、さすがの香川俊夫も、「畠山個人名の預金を会社の預金だと認定したのは会社の預金だという積極的な証拠によったものではありません」とくり返し認めざるをえなかったのである(43・5・23(検)香川俊夫五六七丁)。

もともと、被告人個人のものと被告人会社のものとが混同されていて区別がつかないという状態は、被告人個人の名義による銀行預金の問題だけではなく、銀行預金の全体についていえることであった。

このような銀行預金をめぐる問題について、被告人の供述(43・5・10(検)一一八五丁以下)を整理しておきたい。

(1) 「仮名の普通預金口座」について

高松相互銀行の玉野金作・金山義夫・山崎太郎等の名義(昭和三八年一二月以降昭和四二年六月まで)の「預金は売上除外金より成り立っていますが、他に他所からの借入金も入っています」(一一八六丁)。また、高知相互銀行の金山義夫、阿波銀行の野玉金作、三和銀行の玉野金作名義の各口座へも売上除外金の一部を入れた記憶があります」(一一八六丁)

(2) 「相互掛金」について

高松相互銀行に、被告人名義の口座のほかに、山下助吾・畑中徳松・川口淑子・寺尾明夫・片田泰造・斉藤広元・玉井会館等の「名義で相互掛金がなされているとの事ですが……私及び玉井会館の掛金であることは間違いありません……こうした掛金は、その年度を合計して二、二四〇万円の掛金がなされているとの事ですが、それらの中へ売上金の除外分が入っているかどうかは今の段階でははっきり言えません」(一一八七丁)

(3) 「定期積金」について

「高知相互にも定期積金、相互掛金が私の本名や片田幸男名義でなされており本事業年度の末にはそれらの合計が一八〇万円位になっているとのことですが片田というのは私個人か会社かの仮名であることは間違いありません。然し売上除外金をその中へ入れたかどうかについてははっきりしません」(一一八八丁)

(4) 「定期預金」について

「高松相互に私の本名や玉野金作・玉水五郎・松田明子・山下照子・寺尾明正等の名義で定期預金がなされ、本事業年度末に於けるこれらの合計が四、一六三万四、一二五円になるそうですが、私の名前以外のものが私或いは会社の仮名預金である事は間違いありません……比の中に売上除外金が入っているかとの質問ですがこれもはっきりしません。

次に高知相互にも私及び片田幸男・重野清水名義で定期預金がなされ本事業年度末におけるそれらの合計が四一五万四、〇〇〇円になっているとのことですが、重野や片田が私や玉井会館の仮名であることは間違いありませんがその中に売上除外金が入っているかどうかはっきりしません」(一一八八ないし一一九〇丁)

これらの点を総合すると、被告人は個人の銀行預金をもっていたこと、およびその個人銀行預金と被告人会社の銀行預金とを区別できなかったことを明確に述べているのである(その区別ができない以上、本件事業年度における被告人会社の預金増二、〇七九万〇、八四八円を認めた43・5・10(検)被告人一一九二丁は実質的な根拠がなにもない)。

査察官も検察官も、このような被告人の供述に反論を加えこれをくつがえして、被告人会社の銀行預金額を確定させるような資料を何ももっていなかったのである。現に、そのような証拠は皆無である。

被告人会社の銀行預金の識別について、被告人本人がわからなかったのであるから、銀行員や香川俊夫や検察官にわかるはずはなかったのである。この面からみても、被告人会社の銀行預金を識別することなど、はじめからまったく不可能であったものというほかはない。

したがって、被告人会社の銀行預金額については、結局、推計による以外に方法がないことになる。しかし、その推計はあくまでも合理性をつらぬくべきものである。すくなくとも。被告人個人の預金を一切否定して、その全部を被告人会社のものと認めてしまうような乱暴きわまりない方法だけは絶対に許されるべきでない。

3 貸付財源の識別不能

香川俊夫は、本件事業年度の期首における被告人会社の「貸付金一、六三六万七、七〇一円」について、次のように述べている(43・5・22(検)香川俊夫)。

「これは

1 従業員に対する貸付

2 玉重個人に対する貸付

があります。

只此の2中には玉重に対する貸付と玉重が会社から借りた上、更にその友人に貸したものとが含まれています。

1の場合は……(一部返済があり)……合計三四万七、七〇一円が本事業年度に持込まれた貸付ということになります。此の証拠は… …〈1〉此の貸付財源が会社所有の金であったか畠山個人の金であったかを積極的に判定する証拠はありません……

此の中(注・右2の場合)玉重が個人で資産を取得するに当り会社の簿外資金から支払ったものは一、六〇二万円です。右の中… …〈2〉これらの支払は玉重から各債権者に既に支払済みでありますが会社の玉重に対する債権は残りますので会社対玉重の関係で期首に持越されたものです」(五六八ないし五七一丁)

右の〈1〉の点は、かりに金額の面では小さくても、本件査察における基本的な態度の本質が端的に示されているという意味できわめて重要である。そこでは「証拠」はなくても、査察官として判定を下しさえすればそれで済むという態度が露骨に示されているものといわなければならない。

〈2〉の点については、被告人会社の「簿外資金」から被告人個人に貸付けたものであったことをいったい何によって証明するのかが最も根本的な問題であることを強く指摘しておかなければならない。

右の香川供述によれば、この被告人個人に対する貸付の中には従業員以外の者に対する貸付もふくまれていたことになるが、これもずいぶん無理な筋立てであるようにおもわれる。

そこでこれらの問題に関する次のような被告人の供述(43・5・10(検)一一九四丁以下)にも十分注目する必要がある。

「従業員以外の者に対する貸付でありますが、国税局の方ではそれ等の貸付先が会社とは無関係であることから玉井会館という会社から私個人に対して貸付があり、更に私がその金をそれらの人に貸したという認定をしているらしいのですが成程私からそれらの人に貸したことには相違ありません。

然し会社の金を私が一旦借りて貸したものであるかどうかについて一概にはそう言えないと思います。他所から借りてきて貸した場合も又自分の金を貸した場合も考えられるので、そういう訳ですから私としてはどちらとも言い切りがつきません」(一一九四丁)

「(注・個人資産取得のために)そうした代金等のことでそうした人達に対し支払をしたことは間違いなくその年度内にそれ位の金額の支払いをしたことも略々間違いない様に思います。ところが、これらの金が国税局の言う通り会社の金で払ったものだとは一概には言えません。むしろ私は銀行から借り入れてその金で支払いしたものと考えています。

国税局の方では……然し私としては会社の金でその支払いをしたものとは考えていません」(一一九七・一一九八丁)

検察官調書であるから表現がどうしても控えめになっているが、趣旨・内容は明確な否認になっている。

銀行預金をめぐる問題とまったく同じように、査察官も検察官も、これらの被告人の供述に合理的で有効な反論を加え、これを崩していくような資料や根拠を何ももってはいないのである。実際のところ、そのような証拠は、何一つ法廷に提出されていない。その結果、銀行預金の問題がそうであったように、ここでも、被告人会社の貸付財源と被告人個人の貸付財源の識別が不能であり、合理的な推計の手段も提示されていないのである。

これでは、本件事業年度の期首における被告人会社の貸付金科目を確定させることができないのである。

それは、単に右の資産勘定を確定させることができないというだけの問題ではない。証拠も根拠もないまま、査察官の勝手な推断だけで「算定」してもかまわないというでたらめきわまりない「算定方法」の登場こそ、最大の問題なのである。そのような「算定方法」が「修正貸借対照表」の作成につらぬかれていたということこそ、最大の問題なのである。

そういう「修正貸借対照表」である以上、とてもまともにそれを採用するわけにいかないことは、誰の眼にも理の当然である。このことは、もちろん、銀行預金の問題にも、完全に共通している。

4 一・二審判決の誤まり

こうして、一・二審判決は、本来、まともに採用することのできない「修正貸借対照表」によって被告人と被告人会社の有罪を認定したということになる。

もちろん、これは重大な事実誤認である。

しかし、それ以上に大きな問題は、前述のとおり、銀行預金や貸付金などの「修正貸借対照表」の各科目について、その適否をすこしも実質的に検討しようとしなかったことである。

それは、実質的に審理らしいものさえなかったという意味で「手帳」の記載内容と「事務所払」をめぐる審理不尽よりも、もっと徹底した審理不尽であったといってよいであろう。このことを不問にしたまま、被告人と被告人会社の有罪を確定させることはどうしても許されないというべきである。

四、事実認定の総合的結論

一・二審判決の重大な事実誤認と審理不尽に関する結論としては、もはや多言を要しないとおもわれる。

本件事業年度の所得に関し、被告人と被告人会社は「売上除外」を実行して帳簿上の公表金額をつけていたが、法人税申告のときには三、三〇〇万円の「売上追加」(仕入増もあり)によって申告書の公表金額(所得額は三七六万九、二四三円)をまとめたところ、査察官と検察官は、「修正貸借対照表」によってそれでもなお三、四一二万五六〇円の所得額の不足(実際の所得は三、七八九万七、八〇三円という構成)があるとして、告発・起訴したのが本件であった。

しかし、すでにみてきたように、「手帳」に基づく貸玉料・売上算定の面からみても、被告人会社の資産確定の面からみても、査察官・検察官主張の右「所得不足」の差額三、四一二万八、五六〇円はただの一円も埋められていないのである。

前述のとおり、本件事業年度については、被告人会社の主柱である被告人が肺の一部切除という大手術を受けて長期の療養を必要とする事情があったことをも十分に認識すべきである。このような手術が必要であったということは、手術前の健康状態が長期にわたって悪化していたことを意味している。実際の問題として被告人会社の営業成績がまともに伸びるような状況でなかったことだけは確かであった。

被告人と被告人会社の有罪を立証しようとする検察側の本件各証拠があらゆる面からみて実質的な根拠を欠き、四分五裂に崩壊しているということの基盤には、このような現実の実体があることを十分認識すべきである。

こうして、公訴事実と有罪の認定は、疑問の余地なく、根底からくつがえっているのである。

この事実誤認と審理不尽の違法を破棄しなければ、いちじるしく正義に反し、裁判の公正と威信が回復し難い損傷を受けるものというべきである。

被告人と被告人会社は、長年、誤まった告発と起訴によって、理不尽に苦難の道を強いられてきた。

誤まった裁判によってその苦難をこれ以上、重いものにしてはならないというべきである。

本件における証拠の適法性と真実性とを冷静かつ厳正にみきわめつつ、被告人の被告人会社をその苦難の道から解放することこそ、裁判所の職責の正しいあり方であると確信する。

以上

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